藪の中

青空文庫 おすすめ」で出てきたので芥川の藪の中を読んだ。
あまりいい話ではないのでおすすめしない。
wikiがあったので読むと、短い小説なのに論文がたくさん書かれていたり「藪の中」論そのものが論じられたりしているらしい。
ネット上でもあれやこれやと真相を探っているサイトがたくさんあった。
しかし客観的な事実が判明したところで真相はわからないのではないかと思った。
監視カメラが事件の一部始終を捉えていたとして、誰がどういう風に殺したのか具体的にわかったとして、動機を説明するのはその人の言葉である。
また何か嘘をつくかもしれないし自分の心を騙しているかもしれないので信用できない。
勢いで言ってしまうこととかタイミングとかあるし時間が経つとその時本当だったことが嘘になる。
真相が情報の少なさや偽情報によって藪の中みたいになってしまうのではなくて真相はもともとどこにもない。

南国

風に吹かれるといやな気分が吹っ飛ぶ。冷たくても良い。風は良い。
遠いところにある町にでかける想像をする。想像の旅。
そうすると、その旅の中、こんなにさっぱりとした平穏そうな町にもドロドロとした争いごとは起こっているのだと聞き、意外に思う。
人ごとではない。僕だって渦中に投げ込まれたら、同じように悩み、怒り、憎しみで頭がいっぱいになるのだろう。
そういう苦しい感情にいちいち囚われなければ、きっとすばらしい毎日なのだろう。この町はパっと見そういう風だったのだけれど、そういうわけにはいかないのが世の常だ。パッケージどおりというわけにはいかない。中に頭を突っ込めば、どこでも面倒なことばかりだ。これは一体どういうことだ。どうしようもないことだ。
そういうことを忘れるために旅にでるのか?その場所で目をそらし続けるのか?
荒野に意識を飛ばすため、風に吹かれるのか?忘れさることが可能か?
場所だけじゃなく、時代にしたってそうだ。こんなに便利になったのに、苦しい人があんまり減っていないようなのは何故だ?
一番大事な問題に対応できていないからではないのか?諦めたり曖昧な解答に納得したり笑ってごまかしたりしてるうちに過ぎていく。

同乗者

僕が今特に何も考えず日々を送っているのは誰かの望み通りであったかどうか。
僕がせいぜい考えていることと言えば、危険とか不安とかはやはり感じるだけ無駄だなということ。
例えば、過激な速度で突っ走っている自動車に二人乗っているとする。運転しているAさんは快適であるが、助手席に座っているBさんはいつ事故をするかと寿命のちぢまる感じ。この時、二人の主観的な危険にはかなりの差があるのだが、客観的な危険は一定である。
これを他のことに置き換えてみたりすると、人を信じることの不思議さにとまどいがちな心に嫌気が差す。

ベーコン

時間はいつも壁にはりついている…わけではない。あれは時計なのだった。あれはただ時間というものの一面をのぞかせるのぞき穴に過ぎない。僕は時間のようになりたい…と本気で思っているわけではないが、あれだけ人を心酔させておきながら、自らの気配を消して実は着々と歩みを進めている二面性には憧れてしまう。僕はもう眠らなければならないし、今さら時間についてごちゃごちゃ文句もないけれど、何かを説明するために順序が必要だっただけだ。ただ、何かを説明する必要はなかったのかもしれない。

時間の二面性は、現実と夢である。僕はその間を自由に行き来して貿易をしたかったのだが、そんなに簡単でもなかった。ところが不可能なわけでもないので、そこら辺が頑張りどころである。難しいのは、現実と夢はその境界線がはっきりとしていないところ。

現実、ここにこんな曖昧な文章を書いている僕がいて、それを読んでいる人がいるだけで頭が少しぐにゃぐにゃする。それは夢がいくらか混ざっているからである。僕がこんなところに曖昧な文章を書いているのは、これは恥である。それをさせているのは何らかの情熱だろう。恥が現実に穴を開け、夢がそこから這い出てくる。それを捕らえてしまったところで、何がどうなるわけでもないが、ここで強引に具現化することで、時間を左右させるくらいの、つまり将来を変える力が生まれるかもしれない。

車輪の中

車輪の中で暮らしています。車輪の中から見ています。雨の日も曇りの日もここで眠ります。私のエネルギーはすべてこの車輪の回転に使われています。ここから見えている景色が何かを語りかけるわけもないです。誰かのためにというのは嘘です。私は自分が重要だと思う何かを知りたいです。傷ついたり忘れたりしながら距離を稼ぐより、誰もいないところに行ってみたい。そういう風に回転したいと思っています。

クレジット

僕は給油機に表れた数字を見て、その分ガソリンを入れたつもりになる。
車の持ち主は、代金を払い、満足したつもりで帰っていく。
車自体は、燃料がいっぱいになったつもりで、それをさっそく消費しながら走り去る。

働いているつもり。食べているつもり。怒っているつもり。愛しているつもり。眠っているつもり。生きているつもり。

どこにどう記され、誰が確証するというのか。

今日一日の自分自身の表情や言動を漏れなく記録したうえで鑑賞してみたいが、そのためには明日一日を潰さないといけない。明日一日を潰すものとして、その間の自分の表情をもう一度記録したうえ鑑賞したいので明後日も潰れることになるだろう。

無言

毎日さむいです。今日は雪が降りました。生まれたばかりの彼女の人生にとって初雪のようです。しかし僕の心にまでは届きませんでした。僕の心は重ねた服の奥にあるしわしわの皮膚のさらに奥、ぐちゃぐちゃとした内蔵の奥、膵臓の陰に隠れてそのまま縮こまり黒ずんでいるのです。雪たちはそれを洗わんと欲し、わざわざ舞い降りて来てくれたのですが、残念ながらその願いは叶わず、ずしゃずしゃと無駄死にいたしました。天の意思がどういうものであろうと余計なお世話というもので、僕が欲した時にだけそっと手を差し伸べていただければ良い。